私の模型船の系譜

 

 子供のころは自動車が好きでした。父親がてんとう虫と呼ばれた「スバル360」,ついで「スバル1000」に乗っていて,家族で週末のたびにドライブに連れて行ってもらっていました。父は私の生まれる前は「ラビット」というスクーターに乗っていたようで,かなりの車好きですね。「スバル1000」はボンネットの中にスペアタイヤが入っていて,子供心にも不思議な車でした。今から思えば,当時としてはかなり趣味にお金をかけていた父だったのだな,家計は大変だったのだなと思います。そんなことは知らない小学校低学年の私は,車をとても身近に感じて,道を走っている車を見れば,どこのメーカーのなんという車かすべて諳んじておりました。

 やがて何年かして,私もご多分に漏れず受験競争の世界に否応なく引きずり込まれていきました。勉強嫌いで自動車の絵ばかり書いていた私ですが,ある日のこと母親に連れられて日本橋のデパートに行ったとき,玩具売場に隣接したショウケースに飾ってあった鉄道模型の世界を知りました。まことに移り気といえばそのとおりなのですが,すっかりはまってしまい,カタログをもらって毎日のように眺めては悦に入っておりました。あきれた父が,半分冗談だったでしょうが,もし私立の○○中学(難関と言われた受験校)に入ったら,このカタログに書いてあるもの1ページ分全部買ってあげる,という約束をしてくれました。私はそれを励みに勉強をして,うそのような話ですが○○中学に合格してしまったのです。約束は約束ですので果たしてもらいましたが,当時としては大変な出費であったようです。そのとき買ってもらった鉄道模型はまだ健在です。

 さて,こうして入った中学の図書室で,私はある本に出会うのです。それは柳原良平著「船の模型の作り方」(至誠堂刊・昭和48.7.25発行)。まことに移り気といえばそのとおりなのですが,鉄道模型はどっかに飛んでいってしまい,今度は船の模型のほうに再度転向したのです。この本はえらく気に入って何度も借りてきては眺めておりましたが,だんだん自分でも作りたくなってくるのに時間はかかりませんでした。しかし学校の蔵書なので模型作りのための寸法書き込みはできませんし,今と違ってコピーなどという文明の利器もなかった時代です。

 そこで,一念発起して,夏休みにこの本を自分で買ったのです。神保町の書店街をうろうろ探し回ってやっと入手しました。価格は確か3500円,私の全財産だったと記憶しています。 そして本に出ていた戦前の主要遠洋航路を代表する船を作っていました。

 私の模型は,中学時代を除いて、今日まで一貫して,縮尺200分の1水線上紙製模型で続いており,これ以外のものを作ったことがありません。最初に出会ったのが「船の模型の作り方」であったためであろうと思います。当時は毎日のように模型船をずらりと畳に並べて顔を畳につけて港の中にいるような雰囲気を味わっておりました。このような遊び方をしていたので,本船だけでなくタグボートやはしけ船や交通船など,港の脇役たちも作りたくなり,横浜港に出かけるようになってきました。信じられないかもしれませんが,たくさん船の模型を作ってはおりましたが,それは写真や本の中だけのことで,それまでは本当の船を見たことはほとんどなかったのです。

 さて,私も大学に入り,時間的にも余裕?ができ,次第に横浜に来航する外国客船の出迎えに行ったりして潮の香りにもなじむようになりました。そして,模型の対象も現代の客船やフェリー,外国船にも広がってゆきました。

 就職すると地方の工場勤務になったりして,しばらく船とは離れてしまいましたが,転勤で東京に戻ってきてからは,金銭的には独身貴族で本当の船に乗ることも可能になりました。いま風にいえば「クルーズ」ですが,当時は商船三井客船の「にっぽん丸(2代)」「新さくら丸」が日本外航客船の全てで,クルーズといっても地味なものでした。それでも結婚するまでの間に,海の青さ,砕ける波,水平線から昇る太陽,海豚やトビウオ,満天の星空など,海と船の素晴らしさを満喫しました。長距離フェリーにもよく乗りました。

 このころの私の模型船は,実際に自分が乗った船を作ることが中心になりました。この甲板で日の出を見たとか,このプールで泳いだとか,この前から何番目の窓の船室に泊まったとか。実際に乗った船なのでデッキプランを貰い,細かい部分の写真も撮ってきて作っています。

 また,実際に船に乗り,間近に見ると,細かい艤装品などにも関心が出てきます。たとえばウインドラス,ボートダビット,フェリーのランプウェイ,デッキクレーンなど,どうなっているのだろう,と興味がつきません。それがまた模型を作るときの参考にもなります。その関心の延長から貨物船なども作ってみました。

 こうして書いてきますと,そのときどきでいろいろ関心が移ろっていることに改めて気づきます。

 最近では淺間丸(あさままる)ゆかりの船の模型をシリーズで作りました。淺間丸は昭和4年に就航した日本郵船のサンフランシスコ航路の貨客船です。その設備の豪華さから、太平洋の女王と言われていました。その淺間丸も戦争により、昭和19年11月1日にアメリカの潜水艦の魚雷により撃沈されました。私はその37年後の11月1日生まれです。偶然ですが、私は自身が淺間丸の生まれ変わりではないかと勝手に思っています。そのため、淺間丸ゆかりの船、関係する船を順次模型化しました。

 また、平成16年2月には、主に東日本の商船模型製作者を中心として設立された「商船模型同好会」の会員となり、毎年開催される作品展に模型船を出展しています。

現在は、戦前の客船と旅行の際に乗船した長距離フェリーを中心に、模型船を作っています。