ここでは、淺間丸にゆかりのある船の模型を紹介します。

1.淺間丸のランニングメイト

龍田丸(たつたまる)

昭和5年竣工。総トン数16,975トン、全長178メートル。本船と淺間丸はそっくりですが、1等プロムナードデッキ後部の窓が淺間丸は3つであるのに対して龍田丸は2つであることが識別点です。また、船橋側面の窓も淺間丸は3つであるのに対して龍田丸は2つです(時期による)。

昭和18年2月8日、荒天の暗夜、米潜水艦の雷撃により沈没し、乗員乗客全員が死亡する悲劇的最期を遂げました。

 

秩父丸(ちちぶまる)

昭和5年竣工。総トン数17,498トン、全長177.8メートル。3姉妹のうち、本船のみが太い1本煙突で外観上の一大特色となっています。これは主機が異なるためで淺間丸、龍田丸がスルザー式ディーゼル4基スクリュー4つであるのに対して本船はバーマイスター式ディーゼル2基でスクリュー2つであることによります。デザイン的には煙突が大きすぎると感じます。重厚さはありますが、軽快さはあまり感じません。

昭和18年4月28日、米潜水艦の雷撃により沈没し、タイタニック号事故を上回る2千人以上の犠牲者を出しました。

 

大洋丸(たいようまる)

本船の経歴は変わっています。もともとドイツのハンブルグ・サウス・アメリカ・ラインのカップ・フィニステレとして竣工しましたが、第1次世界大戦の賠償として日本政府が所有権を取得し、政府の委託により東洋汽船がサンフランシスコ航路に就航させましたが、昭和2年日本郵船が航路ごと譲渡を受け、淺間丸3姉妹のランニングメイトとして活躍しました。このような経緯により本船は資料が少なく、模型化するのには困難がありましたが多数の方々からの資料をもとに一応の完成を見ました。模型は東洋汽船時代の外観(煙突は黄色)で製作しました。本船はドイツ製だけあって特異なデザインであり、大きな甲板室がかなりトップヘビーな印象を与えますが、2甲板分の高さがある1等食堂や大理石製の露天プールなど豪華な設備を誇りました。

昭和17年5月8日、米潜水艦の雷撃により沈没しました。

 

八幡丸(やわたまる)

本船はもともと欧州航路用に建造されましたが、竣工は昭和15年7月31日で、すでにヨーロッパでは第2次大戦が勃発していたため、一度だけシアトル航路に就いた後、約1年間サンフランシスコ航路に就航しました。総トン数17,128トン、全長179.8メートル。その後海軍省に買い上げられ、空母「雲鷹」となりましたが、昭和19年9月17日、米潜水艦の攻撃により沈没し短い生涯を終えました。

 

2.淺間丸クラスのライバル

President Hoover(ぷれじでんと ふーばー)

アメリカのダラーラインの太平洋航路船で、昭和6年に竣工しました。総トン数21,936トン、全長199.4メートルと、淺間丸より一回り大きく、淺間丸クラスのよきライバルでした。車社会のアメリカらしく、貨物倉にはカーデッキがありました。外観的にはあまりパットしませんが、後部に1等船客用の大きなプールがあるのが目を引きます。それだけでなく、プールサイドには雰囲気を盛り上げるために何とSandBeachまでありました。要するに砂場です。笑ってしまいますね。本船のデザインは何か少し変で、煙突がもう少し前にあれば、グッドプロポーションだと思うのですが、いかがでしょうか。

昭和13年に台湾東岸で座礁し全損となってしまいました。

 

Empress of Japan(えんぷれす おぶ じゃぱん)

英国カナディアン・パシフィック・ラインの太平洋航路船として昭和5年に竣工した豪華船。総トン数26,032トン、全長203メートルで戦前の太平洋航路の最大船。淺間丸クラスの強敵でした。この当時では珍しく、1等船室の一部には専用ベランダがありました。

船容は、さすが英国船、堂々としていて気品があります。太い3本煙突ですが、3番目の煙突はダミーで煙は出ません。

3.淺間丸と縁のある船

Conte Verde

(こんて べるで)

イタリアのロイドサバウド社の南米東岸大西洋航路船として、 大正12年竣工、総トン数18,383トン、全長180.8メートルと、淺間丸より少し大きい船です。

本船と淺間丸との繋がりは2つあります。ひとつは昭和12年9月1日香港に停泊中、いわゆる淺間丸台風と呼ばれた猛烈な台風に遭遇し、あおられた本船は走錨し、付近にいた淺間丸の船尾に衝突、そのはずみで淺間丸も走錨し座礁してしまいました。結局昭和13年3月11日にやっと離礁できましたが航路に復帰したのは9月15日で、丸1年、淺間丸は働くことができませんでした。2つめは日米交換船です。本船と淺間丸は太平洋戦争中の昭和17年6月、日本の勢力権下にいた米国大使ほかの外交官などの米国人を乗せ、米国にいた日本の外交官を乗せたグリップスホルム号とアフリカ東岸のマダガスカル島ロレンソマルケスで合流し乗船者を交換し、それぞれの本国に送り届けました。このように本船は淺間丸とは浅からぬ関係があったのです。

 

HMS Liverpool(女王陛下のりばぷーる)
昭和13年11月2日に竣工したイギリス海軍の軽巡洋艦。基準排水量9,400トン、全長180.28メートル、15.2センチ砲12門。日本海軍の軽巡洋艦である「最上」クラスに対抗して建造されました。

 本艦の淺間丸とのつながりは、言うまでもなく昭和15年1月21日に発生した浅間丸事件の当事者であることです。本艦は房総半島沖の公海上で米国から日本へ航海中の淺間丸を臨検し、乗船中のドイツ人21人が拉致されました。交戦国の軍艦が中立国の船舶を臨検することは国際法で認められており、本艦の行動は問題ありませんでしたが、日本のマスコミは反英国でしたから大騒ぎになりました。本艦は商船ではありませんが、淺間丸との関連が強いので、あえて模型船を作りました。

 実在する軍艦の模型を作ったのはこれが初めてで、出来栄えは60点くらいです。軍艦の艤装品はなじみがなく、わからないことが多く、違っているかもしれませんが、大体の印象は表せたかな、と思っています。