ここでは、作者がものごころつく前に活躍した戦後の商船を紹介します。

ぶれーめん丸(ぶれーめんまる)

大阪商船三井船舶の欧州航路高速ライナーとして昭和41年に竣工しました。総トン数11,605トン、重量トン数11,521トン、全長166メートル。高速を出すために船体はスマートです。画期的な高速貨物船でしたが、コンテナ化の嵐の前に姿を消しました。荷役装置はデリックとクレーンの混載で過渡期的な印象を受けます。姉妹船はすべてBで始まる船名で、Bクラス船と呼ばれていました。昭和58年海外に売却。  

ジャパンアンブローズ(JAPAN ANBROSE)

ジャパンラインのニューヨーク定期船として昭和47年に竣工、総トン数33,287トン、コンテナ積載数1,569個(20ft換算)、全長228メートル。これだけの大きさの船で、機関は蒸気タービン1基1軸です。ジャパンラインの船の模型は2隻目ですが、コンテナ船は初めてです。緑の煙突がきれいです。船としてはこれで完成ですが、オンデッキのコンテナがないとやはり間が抜けますね。

コンテナ3段積み

そこで、オンデッキのコンテナ3段積みを作りました。やっぱりコンテナ船はコンテナを積んだ姿のほうが美しいと思います。コンテナは余っていた木に色紙を貼り付けて作りました。その結果、紙でできた船よりコンテナのほうが重いです。

黒潮丸(くろしおまる)

昭和22年6月30日に竣工した東海汽船の東京―八丈島航路船です。

総トン数496トン、全長52.9mと小型です。有名な「小型客船28隻組」の中の1隻です。

昭和49年12月解体のため売却。

CANBERRA(キャンベラ)

英国の老舗船会社であるP&Oラインが豪州航路増強のため、1961年に完成させたライナーです。総トン数45,270トン(新造時)、全長249.9メートルの巨船です。はじめは定期航路で、晩年はクルーズ客船として活躍し1997年に解体されました。クルーズの途次、横浜に来航した時に作者も見学に行きました。

本船の特徴は何といってもそのデザインです。アフトエンジンでブリッジがかなり後ろに聳える配置は、1955年に就航した英ショウザビルラインの「SOUTHERN CROSS」からヒントを得たものと思われますが、低い位置にある救命ボートの配置は本船オリジナルです。

ROTTERDAM(ロッテルダム)

オランダの船会社(当時)である、ホランド・アメリカ・ラインのフラッグシップで1959年に竣工し大西洋横断等の定期航路に就航しました。総トン数38,645トン、全長228メートルです。はじめはねずみ色の船体でしたが、1969年にクルーズ船になったときに濃紺に塗装されました。クルーズでは何度か横浜にも寄港し、作者も大桟橋に見学に行きました。この模型はそのときの姿で作りました。1997年にプレミアクルーズに売船され、船名をRembrandt(レンブラント)に改めましたが2004年に引退しました。

現在はロッテルダム港に係留され、船名もROTTERDAMに船体もねずみ色に戻り、ホテル兼博物館として余生を送っています。

ORIANA(オリアナ)

イギリスのオリエントラインの豪州航路定期船として1960年に就航しました。総トン数41,910トン、全長245.1メートル、航海速力27.5ノットの高速客船です(トライアルでは30ノットを超えました)。新造時はオリエントラインの伝統的塗色であるコーンカラー(トウモロコシ色(黄土色))の船体でした。独特のデザインは就航時に大いに話題になったそうです。

1966年にオリエントラインはP&Oラインに吸収され本船もP&Oの所有となり、船体も白色になりました。定期航路の不振から1973年にクルーズ用に改造され、主にシドニーを起点とするクルーズに使われました。この時期、作者は来航した本船をいくどもお迎えに、見送りに横浜港大桟橋に行きました。模型はその時の姿で作ったつもりです。
引退後は1987年から別府湾に係留され博物館となりました。90年代、作者は関西汽船の別府航路「さんふらわあ」「こばると丸」などで何度も別府に行きました。そして一度だけ本船を見学したことがあります。しかし当時は本船の模型を作ろうとは考えておらず、あまり写真も撮りませんでした。たくさん写真を撮っていれば本船の模型ももっと楽に作ることができたと思います。その後経営不振のため、1995年に中国資本に売却され、上海のちに大連でホテル兼博物館となりましたが、2004年に台風で浸水、左舷に大きく傾斜し修理不能と判定され2005年に解体されました。