ブリッジデッキができたところです。当時の日本の優秀船は、淺間丸クラスにせよ、新田丸クラスにせよ、シェルターデッキの上はプロムナードデッキ(遊歩甲板)になっていて、本船のようにプロムナードデッキとの間にブリッジデッキのある船はありませんでした。つまり、本船は1等船客用のデッキが従来の日本船よりも1つ多かったのです。これは、淺間丸クラスのライバルであったカナダ太平洋汽船の「エンプレス・オブ・ジャパン」やダラーラインの「プレジデント・フーヴァー」クラスにやっと日本船も追いついた、という意味があります。
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