マスト関係、遮風柵を作成し、ひとまず隼鷹が完成しました。初めて旧海軍の空母を作ったわけですが、戦争がなければ、豪華貨客船橿原丸として完成していたと思います。
しかし、あの時代は軍国主義であり、多少開戦が遅くなっても、いずれ橿原丸は空母に改造されたことでしょう。隼鷹が終戦時残存したことは幸運だったとしか言いようがありません。
それはさておき、完成した隼鷹の模型を見ると、アイランド部分が大きく、よいバランスのとれた形をしていると思います。赤城とか加賀の小さな艦橋よりも、よほどよいプロポーションと思います。
最後に、本艦の模型化に際しては友人のK氏に大変お世話になりました。厚く御礼申し上げます。
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